アイデンティティーの話

今回はグラスゴーの話とは少し離れます。留学や海外生活を経験した人の多くが考えると思われる、自分自身のアイデンティティーの問題です。

普段、生まれ育った国で日常を送っている時に、自分のアイデンティティーについてじっくり考える機会ってなかなかないのではないでしょうか。大学生がレポートを書く時ぐらいでしょうか。僕自身はそうでした。今まで考えてこなかったので、かなり苦労してレポートを書いた記憶があります。評価していただいたので良かったですが。笑

 

さて、そんな人でも、海外に出れば、否応なしに考えさせられます。自分ってなんだ、自分を形作っている大事なものって何だ、などなど。

そもそも「アイデンティティー」という言葉の定義からして難解です。「自己同一性」と訳されますが、しっくりこない。ひとまず、「自分が自分であるためのもの」とでも捉えておけば大外しはないのかな、という解釈をしています。

さて、アイデンティティーの要素としては人種・国籍・性格・趣味など実に多様な要素が含まれるわけですが、この中で海外で一番考えさせられるのは国籍、つまり「日本人であること」についてだと個人的には考えます。

日本人が圧倒的に少ない環境で、中国人に間違われることが多く、多くの人は日本についてほとんど知識を持っていません。これはお互いさまではありますが。

要するに、かなりアウェーな環境にいるわけです。言葉も、受験英語では対応しきれない場合がしばしば。文化的な差異も多々あって、いわゆる「カルチャーショック」を経験することとなります。

 

僕はそんな時に、日本人であること、日本に暮らしているということの意味を感じました。

日本は非常に礼儀を重んじる国であるということは、おそらく多くの人の同意を得られるところだと思います。飲食店の接客ひとつとっても、段違いです。というか、方向性が違います。文化的な差異が如実に表れていると言えましょう。

このことが「日本人らしさ」の根底に存在すると僕は思います。時間や約束をしっかり守る、秩序を重んじる、年長者を敬う、などはすべて相手への礼儀につながります。

当たり前のようにやっていますが、実は日本の「当たり前」のレベルはとても高いです。異国の地で、そのことを改めて確認しました。

これから僕たちがやっていくべきなのは、良い伝統を裏切らないことだと思います。外国人から「日本人は~だ」という評価をされた時、それは伝統が作ってきたもので重みがあります。ネガティブな評価であれば覆せるように、ポジティブな評価は裏切らない。こうしたことを徹底していくことで、日本人としてのアイデンティティーは確立され、保たれるのではないでしょうか。日本国内、諸外国、どこにいても実践すべきことだと思います。

 

かなり長くなってしまいましたが、以上が最近考えたことのまとめになります。

最後まで読んでいただけた際には、ぜひコメントお願いします。批判的な意見をくださると、さらに考えを深めることになると思うので嬉しいです。